4-51.昭和8年頃・物干し場 祖祖父 ← ・ → |
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上の写真は、三男、四男の伯父達と五男(私の父)。 そして伯父たちの祖父(私にとって祖祖父)ですが、二階のこの物干し場は陽がポカポカあたって、大好きな溜まり場だったそうです。 また祖父にとっても孫と一緒に楽しむ場であったようで、よくこの物干しや縁側でくつろいでいたそうです。 伯父兄弟も祖父が大好きだったそうで、写真に写っている伯父達のニコニコした表情を見ても、その楽しそうな雰囲気が伝わってくる一枚です。 この時の祖父は70歳位で、なんと生まれは江戸時代末だそうです。 江戸っ子気質だったそうで、タバコが好きだった事もあって、祖父が使っていた煙草盆もいくつか残っていました。 江戸時代生まれということもあったのか、普段着ているものは、当然ながら着物だったそうで、祖祖父の写真は殆んどが着物姿です。 また手先が器用だったようで、上の写真ように木の枝で杖を作ったり、下の写真のように木を掘って火鉢なども作っていたようです。 この火鉢は現在も残っており、何の木かは判りませんが、年輪も随分とある樹の根元の部分をくり貫き、中に銅板を貼ったもので、かなり重厚なつくりの火鉢です。 |
右は、二階もの干し場のあった部屋ですが、一番上の写真にも伯父たちの後ろに写っている机を、部屋の中から撮ったものです。 伯父の机だったようですが、机の上には目覚まし時計や電気スタンドにインクの瓶が見えます。 壁には授業の予定でも貼っているのでしょうか? ペン立てらしきものに入っているのは、羽ペンでしょうか? 電気スタンドは時代を感じますが、時計は今と変わらないような感じです。 |
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上も同じ二階ですが、物干しの部屋とは違う部屋です。 窓の外側に、人が立てられる程度の張り出しがあるようですが、この頃の民家には、こうした作りがよくあったようです。 写っているのは五男の父ですが、着ているのは一番上同様に小学校の制服です。 前にも述べましたが、この頃の普段着は、学生服を着ていたそうで、今では考えられない事ですね。 |
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