4-33.昭和8年・外房 御宿 ← ・ → |
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上の写真は伯父の記憶によると御宿の海水浴場だそうです。 海岸に着いてすぐに、記念撮影をしようと集まっているところを、ちょっと離れたところから伯父が撮った写真のようです。 伯父の古い写真を見ていると、こうした写真を撮られてポーズをしている所を、横からの他のカメラで撮った写真がとても多く、昔から茶目っ気がある事がわかります。 写真の右側では、なにやら大勢で舟を引き上げている様子が見られますが、皆さん漁師さんでしょうか? 当然ながら、舟などは機械で巻き上げるのではなく、自分たちの力で砂浜に上げています。 伯父は 「確か地引網もやっていたけど、漁の水揚げかな〜」 と申していましたが、下のように拡大して見ますと、頭には手ぬぐいを巻き、褌姿も何人か見られます。 その中に混じって子供達や観光客っぽい姿も見えます。 写真奥の海岸沿いの民家は立派な瓦屋根が多く、みな戸を開け放しています。 何か干している様子も見えますし、中には《○○屋》と読めるような看板もありますので、もしかして旅館でしょうか? または民宿でしょうか? 記録によると、既に外房は海水浴場としても別荘地としても人気があったようです。 また隣駅の勝浦には400年の歴史の朝市が有名ですので、古くから観光地でもあったと思われます。 ですのでこうした海沿いには旅館や民宿が早くから出来ていたのかも知れません。 こちらも同じ海岸での写真ですが、手にしている傘を見ますと、少し小ぶりな日傘で骨の数は14本です。 現在の傘は骨が8本というのが主流ですが、写真左奥のビーチパラソルは骨8本のようです。 また写真右の座っている方の傘は、いわゆる蝙蝠傘タイプのようで、骨8本に見えます。 とすると、小ぶりな日傘は女性用のおしゃれな傘だったのでしょう。 そして昭和初期には普通の傘は骨8本として定着していたのかも知れません。
それにしても随分と広く、しかも思った以上にしっかりした作りの海の家です。
こちらは御宿の海岸のようですが、左手奥には砂山が見えます。 現在は海岸線が広くなり、これほど海沿いに砂山はありませんが、古くから御宿は砂山が多い海岸だったそうです。 伯父の記憶の中にも、砂山を越えて海に出た記憶があるようです。 |
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