4-9.隅田川沿いを歩く 1 ← ・ → |
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前頁の昭和6年の集合写真の場所も、かつては堤防ではなく隅田川の一部で、江戸時代から明治大正と、少しずつ埋め立てられて行き、それに伴い川幅も狭くなり堤防が出来たとの事です。 また江戸時代は、隅田川は大川と呼ばれ、五代将軍綱吉の頃には、この近辺は、【殺生禁断】の川とされており、この事は落語などにも出てきます。 この【言問橋】が出来る昭和3年以前は、この場所よりもちょっと上流にあった 【竹屋の渡し】という渡し舟で隅田川を渡っていたそうで、現在も隅田公園の片隅の山谷堀入り口近くには、この【竹屋の渡し】の碑があります。 伯父も何度か渡し舟を使ったことがあったそうですが、中には天気の良い日など泳いで渡る人もいたそうです。 今考えると信じられない話ですが、それぐらい綺麗な川だったという事ですね。 |
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碑と言えば、この隅田公園にはさまざまな碑があります。 まず【言問橋】のたもとには、【東京大空襲追悼碑】があります。 昭和20年3月10日深夜の大空襲は、この隅田川を挟んだ台東区と墨田区、江東区を襲い、一帯は焼け野原となり、火災から逃れようとして【言問橋】に逃れてきたものの、火災は橋をも襲い、たくさんの方々が被害にあったという事です。 この【東京大空襲追悼碑】は、その犠牲になった人々を慎む為にと、昭和61年に立てられたもので、訪ねた時も供えたばかりのお花が並んでいました。 |
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現在たくさんの車両や人々が日常的に渡る言問橋ですが、この橋の親柱は昭和初期に出来たままの状態です。 更に良く見ますと、この親柱には所々黒い跡があります。 これはかつて空襲によって焼かれた時の跡で、まざまざと当時を物語ってくれています。 そうした悲しい想いと共に、【東京大空襲追悼碑】には、常にお花が添えられています。
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少し離れた所には、昭和天皇の侍医として、そして昭和の俳人として名高い、【水原秋桜子】の 「羽子板や子はまぼろしの隅田川」 という句碑がありました。 水原秋桜子は他にも隅田川の景色を見て詠んだ句が多くありますが、都内各所に句碑があります。 句を読んだ碑がもうひとつあります。 「雪の日の隅田は青く都鳥」 と詠んだ正岡子規の句碑です。 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」があまりにも有名ですが、正岡子規は対岸の長命寺に下宿をしていたり、根岸に住んでいたことから(現在「子規庵」として一般公開しています)、隅田川を詠んだ句も多く残っています。 |
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隅田公園は桜の名所として広く知られていますが、公園内には小さいながらも梅園もあります。 訪れた時も丁度梅祭りが開かれ、梅が満開の中良い香りが漂っており、まざまな所で、正岡子規や水原秋桜子に続けとばかりに、句が詠まれていました。
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正岡子規の碑の隣には童謡の【花】の碑があります。 明治33年(1900年)に、当時東京音楽学校(現東京芸術大学)の教授だった武島羽衣が作詞をし、同じく芸大の助教授だった、滝廉太郎が作曲した、日本を代表する童謡です。 当時武島羽衣は27歳、滝廉太郎は21歳という若さでしたが、この2,3年の間に滝廉太郎は次々と童謡を発表した後、23歳という若さで急逝します。(詳しくはホームページ内【童謡のお話】をご覧下さい。) 尚、この【花】は四季の組曲として発表された中の一曲で、元々女性の二重合唱曲として発表されたもので、日本初の合唱曲でもあります。 私たちが発表したアルバム「お星さまの贈りもの」にも、この【花】を収録しており、真織由季が歌っていますが、ゆったりした隅田川をイメージしたアレンジの曲です。 そうした事もあってか、やはりこの隅田川に来ると【春の〜うら〜ら〜】と口ずさんでしまいます。 |
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花の碑の近くには【竹屋の渡し跡】の碑があり、その先は広いグランドのようになっています。 ここにはかつて山谷堀という掘割があった所です。 その山谷堀入り口から対岸の三囲神社を結ぶ渡し舟として親しまれていたのが【竹屋の渡し】ですが、近くには待乳山聖天があった事から【待乳ノ渡】とも呼ばれていたそうです。
現在は山谷堀は暗渠となり、隅田川沿いに設置された水門が、かろうじて堀があった事を忍ばせてくれますが、この山谷堀が暗渠となる前の絵葉書がありました。 |
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昭和7年に発行された【水の公園】という題名がついた絵葉書です。 隅田川へと注ぐ山谷堀沿いから、言問橋方面を撮ったものですが、隅田公園は【水の公園】としても親しまれていたようです。 川面には帆掛け舟やポンポン船らしき船が行き交っていますが、のんびりとした様子が伝わってきます。 そして右は上の絵葉書から77年後の様子です。 山谷堀はコンクリートで覆われ、堤防も高くなっていますが、隅田川の向こうには今も言問橋が同じ姿を見せてくれています。 |
昭和の出来事(昭和6年・昭和7年・昭和8年) |