4-8.昭和6年・言問橋 隅田公園 ← ・ → |
|||||
小学生の遠足と思われる写真で、伯父の弟が写っておりますが、橋の下の遊歩道や、橋の形状からしますと【言問橋】ではないかと思い、実際に行って見て参りました。 【言問橋】は、関東大震災後の震災復興事業として昭和3年に架けられたもので、隅田川では10番目の橋となります。 完成当時は、そのストレートな橋が、優雅な曲線の【清洲橋】と比較され、川端康成も「隅田川の新しい六大橋のうちで、清洲橋が曲線の美しさとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。清洲は女だ、言問は男だ」と語っていたそうです。 その後の昭和6年に、同じく震災復興計画で【隅田公園】が整備されていますが、写真はその【隅田公園】が整備された後の、【言問橋】の前のようです。 とすると、三男の伯父の年代と合わせますと、この写真は昭和6年に撮影されたものと推測されます。 肩には水筒をぶら下げ、中には籐のランチボックスも見えますので、きっと新しい公園が出来たという事で、根岸尋常小学校から徒歩で遠足に来たのでしょうが、距離にして約2.5kmの直線ですので、さぞかし楽しい遠足だったでしょうね。 現在も【隅田公園】では梅祭りや桜祭り等でお弁当を広げている様子を見ることができますし、私たちも隅田公園や山谷堀公園等では、毎年お花見をしています。
古い写真では橋の下の川沿いに長いストレートの遊歩道が見え、歩道の左手には隅田川が流れている様子が見えますが、現在はその遊歩道は小高い丘となり、歩道は少し右側に移動しているようです。 また堤防ができたおかげで、覗き込まなくては隅田川の川面も見えなくなっています。 |
昭和の出来事(昭和6年・昭和7年・昭和8年) |