4-5.昭和6年頃・浄名院・八万四千体地蔵   ・ 


昭和初期の浄名院内 地蔵群


現在の地蔵群

享保年間建立の浄名院入り口表門
この写真を見た時、最初は何処かの共同墓地の写真かも?と思っていたのですが、伯父に聞いたところ

「あーこれは浄名院のお地蔵様だな〜」
との事でした。

浄名院とは、この前のページにも【浄名院の塀】が見えていますが、伯父の自宅から目と鼻の先にあるお寺です。

元々は寛永寺の別院として1666年に創建されましたが、享保8年(1723)に浄名院として独立します。

その為、明治の道路拡張の際にも、場所を移転することなく、江戸時代からこの場所にあります。

また右の写真の表門も、享保年間(1716〜1735)の建立と言われる古い門です。

この浄名院は、【八万四千体地蔵】の大誓願としても知られおり、境内には無数のお地蔵様が建立され、現在も増え続けていると言われます。

周りを高い塀で囲まれていますので、入るまでは感じる事ができませんが、一歩境内に入れば、表通りの車の往来とは全く別の、寂静の世界が広がっています。

また桜の季節になると、境内の桜が見事な花を見せてくれます。


浄名院内 江戸六番地蔵

境内には【八万四千体地蔵】大誓願のひとつとして、江戸の六地蔵の一つである【六番地蔵】もあります。

六地蔵と言えば、私達の昔話のお話CD「お星さまの贈りもの・むかしむかし」の中にも《かさじぞう》というお話を収録しており、そのお地蔵様も六地蔵です。

この六体の地蔵とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道の六つの道をさまよう人々を救う為の地蔵菩薩とされています。

そして今から300年前の江戸時代に、江戸の六街道に旅人の安全を祈願し、【江戸六地蔵】が建立されたと言われます。

元々この六番地蔵は、元々千葉街道の入り口である永代寺(現在の深川不動境内)にあったものの、明治新政府の【神仏分離令】によって廃寺となり、同時に六番地蔵も【廃仏毀釈】によって取り壊されました。

その後の明治39年になり、六番地蔵の復興と日露戦争の戦没者を弔う為にここに六番地蔵として復活したそうです。


浄名院境内を歩く伯父
伯父と話をしていましたら、

「兄弟のお地蔵さんもあるな〜」

との事で、最初は何の事だかわかりませんでしたが、この浄名院境内のたくさんのお地蔵様の中に、《平井家のお地蔵様》も奉納されているという事を聞いて驚きました。

当時は子供が元気にすくすく育つことは、今以上に大変な時代だった事から、伯父の両親が五人の兄弟の健康をお地蔵様に託して奉納したそうです。

その後【浄名院】の近所に来た際に、

「久々に平井家の地蔵さんを見に行こう!」
となり、一緒に参りましたが、境内に入るや

「確かあの辺だな〜」
と言いながら杖をつきながらもスタスタと歩いて行きます。
そして伯父の記憶で1体づつ銘を見ていきましたら、昭和5年に奉納された平井家のお地蔵様が立っていました。(写真右下)

さすがに76年の歳月のせいか、所々欠けたり、丸味を帯びたりしていましたが、奉納者の【平井やす子】(祖母)という名と【第六千四百十三番】という文字がしっかりと刻まれており、伯父も久々に自分たちのお地蔵様を目の当たりにし、とても懐かしがっていました。

そして境内の塀を指し、
「あの辺からお地蔵さん伝いに塀を越えて遊んだものだよ・・・よく怒られたが、ここも遊び場だったなぁ」
と子供の頃を思い出していました。

また、この浄名院は【へちま供養】でも知られており、旧暦八月十五日には、せきや喘息等で悩む人たちで賑わいます。



平成23年夏この浄名院の大改修が行われ、境内の古木は大部分が伐採され、祖母の建立したお地蔵様が並んでいた場所は墓地として整備され、言問通り沿いの壁も綺麗な壁に変わりました。
改修が始まった時に、祖母が奉納したお地蔵様はどうなるのかしら?と思い浄名院を訪ねたら、幸いにもお寺の方が伯父達の名が刻まれたお地蔵様は奉納者の親族が健在である事が判っていたようで、別の場所に安置され、後に新しい壁沿いに移動する事になりました。
こうした事から、昭和六年頃に撮影された境内の面影は古木と共に変わって行きました。



平成24年5月に伯父が93歳と6ヶ月で他界しましたが、生前の伯父の希望や、お地蔵様の縁があって、墓地をこの浄名院に決め、平成24年7月16日に無事納骨も済みました。

丁度墓地をどうしようか考えていた時に浄名院に伺ったら、まさに伯父達が生まれ育った生家があった所から、目と鼻の先の墓地が空いていました。
かつて塀を乗り越えて遊んでいたという塀の傍で、更に祖母が奉納したお地蔵さんも近くに鎮座しています。
このお地蔵様については、前述の通り墓地整備の際に移動を余儀なくされていましたが、私や伯父が訪ねた事から、関係者が健在と判り、新しい安置場所も壁側の最前列に並べていただく事になりました。

また建立から80年以上経た事から、お地蔵様の顔が崩れており、伯父も気にしていましたが、この度伯父の墓石にお地蔵様を彫ってもらいました。

気にしていたお地蔵様の顔も墓石に復活し、生まれ育った場所で、何よりご近所の方々も私たちも近い事から、いつでも会いに行けます。
まさに、ここなら伯父も安心するに違いない!という事でこの地を伯父の第2の住まいとしました。

丁度納骨の日は、お地蔵様に灯明を灯す万灯会の日でもあり、伯父にとっての新盆と重なり、賑やかな納骨となりました。

さぞかし懐かしい境内や塀を乗り越え、生家と新しい住まいを行き来している事と思います。



お地蔵様は彫られた伯父の第2の住まい

新しい場所に安置されたお地蔵様

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