お知らせ・訃報

当ホームページの古い写真を撮影し、昭和の思い出を残してくれた伯父の平井寛が、平成24年5月17日深夜に永眠しました。
自身は独身のまま4人の弟達の結婚の世話をし、4人の弟の最後を見守り、最後の最後は笑顔を見せたような安らかな表情で一人で旅立ちました。
5月27日には葬儀を行いますが、伯父にとってはまた新たな世界への旅立ちと思います。

5人兄弟の長男として大正7年に千代田区神田錦町で生まれ、その後、長きに渡る上野桜木での生活が始りました。
仕事柄社交的だった伯父の父は、伯父達の写真を撮ると、それをポストカードにしていました。
現在では当たり前の事ですが、今から90年近く前にオリジナルポストカードを作っていたと言うハイカラな家庭でした。

関東大震災は自宅で体験し、東日本大震災は現在の居宅で体験しました。

幼稚園は近所の根岸幼稚園に入園し、小学校は根岸尋常小学校でした。

昭和5年頃には、郊外の家が1軒買えるほどの高価なカメラを手にし、このホームページの基盤となる写真を惜しげもなく撮り続けました。
中学は東京市立第二中学に入学し、その後東京外国語学校に進学しますが、この頃の写真の中には軍事演習の写真も多く残っており、今の時代との違いを痛感させられました。

昭和16年には最初の学徒動員の為、大学の卒業を半年ほど繰り上げる事になりました。
昭和17年には一旦横浜正金銀行に入社しますが、2ヵ月後には軍隊に入隊する事になります。
伯父は乙種幹部候補生ということで、入隊して半年後には二等兵→上等兵→兵長→伍長と昇級します。

入隊は北青山の陸軍近衛歩兵第四連隊四分一隊でしたが、その後直に大島隊となります。
この大島隊の隊長は銀座【千疋屋】の社長さんで、伯父が戦後日本に帰還すると、真っ先に大島隊長の元へ報告に行ったそうです。

青山の部隊にしばらくいた後は、甲府の部隊へ移動となります。
その後昭和19年、伯父の部隊はスマトラへ移動となり、終戦もスマトラで迎える事となりました。

戦後は伯父の就職先であった横浜正金銀行がGHQによって解体された為、伯父は閉鎖機関に入ることになります。
その後、銀行に勤めた後に平井機設という外国の機械を大手企業に斡旋するという輸入会社を始めますが、首都高速大井トンネルは、伯父が輸入した掘削機や研磨機で穴を掘っていたそうで、伯父も何度も現場に行ったと申していました。

平成15年夏に、84年住み続けた上野桜木の自宅を手放し、新たにマンションでの一人暮らしが始りましたが、たった一人の生活では病気の際の不安があることから、その後東大近くの老人ホーム【サンクリエ本郷】に入居する事になりました。

老人ホームに入居してからは、益々元気になり、天気が良ければ一人で地下鉄やバスに乗って銀座や日本橋に買い物に行く生活が続いていました。
一昨年に地下鉄内で転び、手首を折ったことがありましたが、90歳を超えているとは思えない信じられない程の回復力で、1ヶ月程ギプスが取れ、再び日本橋や銀座に買い物に行けるようになりました。

そんな伯父でしたが、今年1月末に急な病で入院して以来、危険な状態が続きながら3ヶ月近く病院で闘病生活を送っていましたが、なんとか念願かなって自宅である老人ホームに帰る事ができました。

退院後は予想以上に急激に元気になり、食事も自分で食べれるようになり、しかも毎回完食状態が続いており
「ここは美味い!」
と喜んでおり、「以前の元気を取り戻すかも?」と思っていました。
が、今回急な熱発と同時に再び状態が不安定になり、退院1ヶ月後、93歳6ヶ月で伯父の人生も幕を下ろしました。

日付が変わり、ホームを後にした頃には急に雨が降り、雷が鳴っていましたが、なんだか伯父が
「ご苦労さん!」とゴロゴロと言っているような感じがしました。

翌朝は、入れ替わり立ち代り老人ホームのスタッフの皆さんが伯父に挨拶にお見えになり、6年間お世話になった老人ホームから伯父を安置する斎場に向かう際は、数多くの老人ホームスタッフや主治医の先生に見送られ、伯父も喜んでいるような気がしました。

伯父を乗せた車が何故か遠回りをして、かつての自宅前ことホームページにも写る言問通りを通ってくれました。
「おじちゃま!懐かしいでしょう…」と問いかけながら、運転手さんに
「ここで伯父が生まれ、目をつぶって歩けるくらいの通りなんです…」
言ったら、
「えっ…、実はカーナビでは先ほどの交差点を左折を指し、自分もそのつもりでしたが、気が付いたらこの道を通っていました…」
とのことで、まさに最後の最後の伯父の気持ちが知らず知らずに通じたようでした。

斎場を後にし、伯父の希望もあって、生まれ育った隣近所の【浄名院】を伯父の新しい住まいにしようと伺い、事務所で打ち合わせをしていたら、前日に引き続き突然の雨と雷が鳴りました。
打ち合わせが終わる頃には雨もあがって青空が広がっていましたが、これまた
「お墓の事もご先祖の事も段取りつけてくれてありがとう!ご苦労さん!」
とゴロゴロと言っているように思えました。

これ以外にも亡くなるタイミングや時間など伯父の氣持ちでは?と思うことがたくさんありましたが、とにかく最後まで伯父らしかったです。

また人生の最後を病院ではなく、自宅の老人ホーム【サンクリエ本郷】で迎えられた事も、私たちにとって希望することでしたが、伯父にとっても最高な人生最後を迎えられたと感謝しております。

さて伯父が旅立った事で、古い写真を見ながら新たに写真の説明を聞く事は出来なくなりましたが、以前聞いた事がたくさん残っておりますし、まだ公開していない写真も多くありますので、今後も当ホームページは更新を続けて参りたいと思います。

これからも引き続き昭和からの贈りものを見守りください。
平成24年5月25日
元宝塚歌劇団 星組 鞠村奈緒
昭和からの贈りもの事務局代表 吉池 悟


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