はじめに
2003年夏、東京都台東区上野桜木の閑静な住宅地の中で、一軒の古い家が取り壊されました。

明治時代に建てられた二階建ての家で、大きな檜の柱と急な階段。
扉や欄間には細工が施され、庭には灯篭や庭石が置かれ、さまざまな木々が茂っていました。
門は人力車が入れる造りの、明治大正の息吹きある古い家です。

そんな、木の温もりがたっぷりの家には、私の伯父が一人で暮らしていました。
長年住み続けた家でしたが、高齢の一人暮らしという事と、家の補修の事などから、その家を手放し、取り壊すことになりました。

幸いなことに、上野桜木近くの東京芸術大学建築学部の教授が、この古い家に興味を持って下さり、歴史的価値のある家の門は、東京芸術大学・建築学部の資料として引き取って頂く事になりました。
同じく、庭石も根津神社に奉納することになりました。
家の柱の一部や欄間等は、教授のおかげで、谷中界隈の民家で再利用して頂きました。
また使える家財道具の一部や古いミシン等は、東京藝術大学の学生さんの寮の家財道具として使って頂く事になりました。

そして、我が家にも古い家の温もりを受け継ぎました。
伯父が生まれた時には家にあり、少なくても90年は経つと思われる丸いテーブルは、今や我が家の食卓です。
同じく子供の頃には既にあったという古い書棚も、現役で使用しています。
伯父の父(私の祖父)や私の父が使っていたという漆塗りの三段重ねのお弁当箱は、今や十歳になった私の娘が愛用していますが、四代続けて百年近く使えるお弁当箱は、なかなかないものと思います。
家が無くなっても、こうしていろいろなところで人々の目につき、人々の生活に根付き、役立っている事は、私たちにとってはまさに『昭和からの贈りもの』です。

そんな『昭和からの贈りもの』の中に、伯父たちの思い出が詰まった古い写真がありました。
しかも昭和初期の写真機が珍しい時代に、現代のデジタルカメラのような感覚で撮影している写真です。
現在のデジタルカメラであれば、
「フィルム代が必要ないから・・・」
「コンピュータに取り込んでプリンターで印刷するから」
という思いで、いろいろなポーズや風景を、日記感覚で撮る事は一般的です。

ただ、今から八十年以上も前のカメラや印画紙等貴重な時代に、小学生がカメラを扱い、スナップ写真や自分の目のようにして撮影している人は、当時としてはさぞかし珍しかったと思います。


最初にカメラを手にしたのは尋常小学校4年生か5年生の頃だったそうです。
当時子供たちの間で流行った[トーゴーカメラ]というボックス型の簡単なカメラで写真を撮っていたそうです。
その後[ベビーパール]と言うカメラに代わり、さらに父親に新しいカメラをねだっていたそうです。
そして小学六年生の頃に手にしたのが、ドイツ製の[ベストポケットテナックス]というカメラです。

今から百年も前に作られたドイツのカメラで、フィルムではなくガラス板に印画したという今では珍しいカメラです。
当時は「そのカメラ一台で郊外の家が買えた・・・」ともいわれる程高価なカメラで、当然のことながら画像を印画する為のガラス板(今で言うのフィルム)も、結構な値段がしたそうです。
それでも伯父はプロカメラマンとしてではなく、一人のカメラ好きな少年の目線で写真を撮り続けました。
上野桜木は、関東大震災やその後の戦火を奇跡的に免れた場所で、伯父の家も火災等にはあわずに、戦前の写真がそのまま残っていました。

古い家を中心とした家族の写真。
上野桜木や、寛永寺、上野公園といった住んでいた街並みの様子。
夏の楽しみだった海水浴の様子や、隅田川。
さまざまな行楽地での様子。
更に、百年以上も前の、明治時代の写真や大正時代の、伯父の両親や、伯父の祖父たちの姿。

そうした古い写真が千枚以上も出てきました。

デジタルカメラ時代の今とは違って、写真一枚一枚が貴重な昭和初期に、当時の暮らしや街並みを伝えてくれる伯父の写真は、まさに私たちにとって残してゆくべき『昭和からの贈りもの』です。
その贈りものの数々を紹介すると共に、その地を散策し、現在の様子とあわせながらご案内したいと思います。
平成20年5月
元宝塚歌劇団 星組 鞠村奈緒


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