4-45.昭和8年10月・修学旅行 箱根   ・ 


修学旅行 箱根大涌谷/昭和8年

写真裏には、【昭和八年拾月二十七日】という印と、【箱根修学旅行 大涌谷より富士山を背景にしての記念寫真】
と手書きの文字が入っていましたので、富士五湖から箱根に来た時の集合写真のようです。

確かに薄っすらとですが、背景には大きな富士山も伺えます。

生徒さんの足元を見ますと、皆さんゲートルを巻いているようで、中には杖を手にしている姿も見えますし、リュックを担いだり水筒を肩にしていますので、皆さんで箱根登山をしたのでしょうか。

伯父の記憶の中にも修学旅行の思い出が残っているようで、
「修学旅行でも行ったが、昔はよく登山をしたよ・・・。箱根にも何度か行ったけど、確かけもの道のような登山道が残っていたし何しろ眺めが良かったよ・・・」
と当時を話してくれました。


右は昭和初期の芦ノ湖の様子です。

湖には桟橋が伸び、遊覧船も見えますが、富士五湖の桟橋とは違って立派で大きい桟橋である事が判ります。

現在も芦ノ湖には大きな遊覧船が営業していますが、芦ノ湖の観光船が始まったのは、なんと明治44年で、随分と古い歴史があるようです。

そうした事からも、宿泊施設も古くから古くからあったそうで、富士五湖よりも箱根や芦ノ湖の方が、観光地としては早くに整備されていた事が判ります。

そして下は汽車らしき車内のようですが、当初は何時の写真か不明でした。

が、伯父に話を聞いたり、卒業アルバムを見ているうち、この時の修学旅行は汽車で富士吉田に行き、富士五湖を周った後は箱根や仙石原に向かい、帰りはまた汽車で東京に戻った事がわかりました。

写っている同級生の顔立ちや服装などからして、この車内の写真は、この時の修学旅行の行きか帰りに撮ったものかも知れません。

頭上には、網棚があるようですが、現在の鉄製網棚ではなく、本当の網の網棚です。

いずれにしても伯父たち中学3年生にとっては、とても楽しい修学旅行だったそうです。


昭和初期の芦ノ湖/絵葉書

旅行中の汽車内

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