4-38.昭和8年・外房 御宿 2 ← ・ → |
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こちらではボートに乗っていますが、4人乗っても余裕があるというずいぶんと大きめなボートです。 みな真っ黒い日焼けの体に水着姿ですが、滞在していた御宿の川でしょうか? としますと、御宿には海岸に注ぐ【清水川】という川がありますので、ここで撮ったものかもしれません。 名前の通りかつてはきれいな清流だったと思いますが、現在もこの【清水川】には鯉が放流され、綺麗な川を保つ運動がなされているようです。 下が現在の【清水川】ですが、川岸は護岸されつつも葦が生え、魚が泳ぐ比較的綺麗な川でした。 |
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左の写真には砂丘のような大きな丘が見え、丘の上には民家が立っています。 その前に座るのは伯父たち兄弟のようですが、写真を見た伯父は、すぐに 「御宿の砂丘だな〜あそこは砂の丘が多かったから・・・確か砂丘を越えて海に行ったな・・・」 「御宿近辺色々歩いて探索もしたしな〜」 と申していました。 確かに御宿は今でも砂丘がたくさんあり、ビーチにも砂丘を越えて行くような場所も残っていましたが、かつては今以上に砂丘が広がっていたそうです。 この写真が撮られた翌年の昭和9年には、御宿町岩和田に日本で初のサンドスキー場がオープンした程です。 その後しばらくはサンドスキー場が営業をしていたそうですが、残念ながら現在は営業はしておらず、【サンドスキー場跡】として残っています。 古い資料の中には、砂丘で網の仕分けをしている横で、スキーを楽しんでいる不思議な写真もありました。 また御宿は日本三大海女集落があることでも知られています。 石川県輪島市舳倉島・三重県志摩町和具とこの御宿岩和田です。他の資料でも当時の海女さんの写真も拝見しました、若い女性が下着ひとつの姿で海女をしている様子は、とても力強く、そしてとても綺麗な姿でした。 |
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現在の御宿は海岸線が2kmも続き、岩和田海水浴場、中央海水浴場、浜海水浴場の3つに分かれています。 夏はもちろん海水浴で賑わいますが、花火大会やビーチバレーの大会も開催されます。 また冬の御宿は波が高いことから、サーファーたちも多く訪れますが、年末には、イルミネーションなども行われ、今では1年中賑わうビーチとなっています。 更に上記【清水川】の近くには【月の砂漠記念館】が建ち、更に砂浜には【月の砂漠記念像】が建っています。 【月の砂漠】は大正12年に発表された童謡ですが、作詞の加藤まさお氏は、ここ御宿の風景を思い出しながら作った童謡で、それを記念して昭和44年に記念像が建てられました。 以来【月の砂漠記念像】は御宿のシンボルとなり、休日になるとたくさんの人がこの像の前で記念撮影を撮っています。 更に御宿の街中の街灯も、【月の砂漠】のモニュメントで統一され、まさに御宿は【月の砂漠】の町といった感じでした。 |
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下の写真には馬屋らしき前で、馬を撫でている様子が写っていますが、滞在先の御宿や勝浦の民家では、このように普通に馬を飼っている家が、この頃はまだまだたくさんあったそうです。 兄弟達も気楽に馬に触っていますが、今では考えられない光景ですね。
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